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資格試験の勉強でつらい状況にある人に読んでほしい記事

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希望
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札幌の弁護士、パートナー型コンサルタントの佐藤大蔵です。前向きに頑張っていこうという中小企業の経営者を全力でサポートする活動をしています。

今絶望的な状況にいるあなたへ

今日は私から今絶望的な状況にいるあなたへメッセージを送りたいと思います。

普段弁護士として依頼者のために仕事をしていますが、皆さん法的なトラブルを抱えて相談にいらっしゃいます。

私たちの目の前には、受験、仕事、恋愛、金銭問題、人間関係、家族の問題いろんなことで人生の壁を感じることが多々あると思います。

私の感じた人生の壁についてお話させてください。

私が人生で感じた一番の壁は、司法試験の挑戦でした。

私は、大学2年の夏に司法試験への挑戦を決意し、大学院卒業まで合計5年間ほど司法試験の勉強だけをするという超ストイックな生活を送っていました。

この受験期間の中で、私は1年間365日勉強をし続けるという日々を送りました。

週7で勉強だけをするという日を、5年間ひたすら繰り返していました。

朝9時位から自習室、図書館にこもりただひたすら勉強だけをして、毎日夜11時くらいの電車に乗って帰るということ繰り返していました。

自分はぐうたらな人間なので、家にいるとリラックスしてしまい、勉強はできませんでした。

そこで、勉強道具しかない自習室、図書館に、5年間ひたすら勉強しかない状況に身を置くことで、逃げられない状況を無理やり作りました。

こんな状況がどうであったかというと、

正直めちゃくちゃつらい状況でした。

つらかったのですが、はじめに弁護士を目指そうとしたときに、本当に人から必要とされるような仕事がしたいと思って、

そのためにバカな自分でも挑戦してみなければはじまらないと思って、司法試験に挑戦することを決めました。

どうせ失敗するだろうと思っている周りの人は見返してやろうと思ってました。

そして、決めたからには必死にやってみて、それでダメだったら素直にあきらめればいいと思いました。

基本的には私たちの時は、司法試験の受験資格は大学院を卒業しなければ、得ることができませんでした。

そこで大学院(ロースクール)卒業後に得られる受験資格のうち1回だけの司法試験の受験に全てをかけて、そのために追い込んで必ず合格する。と決めました。

2回目の試験は受けずにチャレンジは1回だけ。

そして、弁護士になって人から必要とされる仕事をするんだと心に誓いました。

 

こういった決意をすると、勉強を続けているうちに、一度しかないチャンスにチャレンジするのに、今、この時間、手を抜いてしまったら後悔する。

遊びに行きたくても今は我慢しようという心理になっていきました。

定期試験後や年末年始なども全く勉強をしないという日はなかったのではないかと思います。

当然いろんなものを犠牲にしました。

大学の友人との遊ぶ回数は激減しましたし、飲み会にもほとんど参加しませんでした。

友達と遊ぶことは極端減り、

サークル活動もせずに、

大好きだったスタバのアルバイトもやめて、

どんどんと皆から隔離されたようなところまで、自分を追い込んで勉強に向き合っていました。

5年間の中でも様々経験がありました。

試験の勉強のために自習室にこもって勉強するというのは、私にとっては高校受験依頼だったのですが、6時間ほど座って勉強しているうちに、気分が悪くなってきてしまっていました。

勉強を始めて最初に感じた壁は、旧司法試験の択一式の勉強でした。

当時の最後の旧司法試験のために半年間ひたすら勉強をしたところ、半年後の受けた模試試験で半年前に受けた点数よりも点数が下がるという体験でした。

回りのキャンパスの大学生が男女仲良く、華のキャンパスライフを謳歌しているところ、

ひたすら勉強に向かった自分の成果が、点数が下がるという現実に直面して、ショックのあまりトイレにこもって大粒の涙が出てきました。

はかない、つらいという気持ちがあふれてきました。

大学3年の時には、両胸肺気胸に陥り、病院への緊急入院、手術をしました。

大学院時代には、下級生からのスポーツ中の過失で法律問題でもめて、非常に精神的に追い込まれました。

司法試験の答案の文字についてはすさまじくつらい体験をしました。

司法試験では2時間の試験の中で、問題を読んで、答案構成を考えてから一気に8枚以内の答案を書く必要がありました。

そのため、早くかつ人が読める文字で答案を書く必要があります。

元々私は筆圧が濃くて、ゆっくりと大きな字を書いていましたが、早く答案を書かないといけないというプレッシャーに追い込まれていきました。

人より勉強をして知識を得ても、それが答案で表現できなければ、点数として全く評価されないのです。

人より勉強時間をとっていた私は知識自体にはある程度自信を持っていました。

けれども、早く書く必要から字がきたなくなってしまい、やがて答案を採点する人から、字が読めないというコメントとともに、0点の、答案が返ってきてしまいました。

ショックでした。

誰よりもわかっている、よく書けたと思っていた答案が、字が汚く手読めないということだけで、点数評価が全くされなかったのですから。

そして、字の汚さを補おうときれいに書こうとしていると、今度は時間が足りずに答案が最後まで書けないことになりました。

どうしようかと悩みました。

ひたすらどうすれば字を早く書けるのか、いろいろなペンを試したり、ペンの持ち方を研究しました。

けれども、どれもうまくいきませんでした。

そのうち、プレッシャーからどんどん手に力が入り、答案を書こうとすると、筆が震えてしまうような状況になっていきました。

案の定、答案は評価されないことが多くなっていきました。

どうすればいいのか、これからの自分の人生はどうなるのか、孤独で苦しくて、気づいた時には、法科大学院の2年生になっていました。

同じ慶応大学のクラスメートやテニスサークルであった同級生は社会人2年目で、充実した日々のFacebookの投稿をしていました。

こんな風に友達たちが充実したキャンパスライフを送って、社会人として活躍しているのに、

自分は5年間も勉強だけをして、全てを犠牲にして取り組んできたのに、

試験では字が読めないから不合格。

そんな未来だったら私はこれからどうするんだろうか。

正直この時の私には絶望的な気持ちしかありませんでした。

 

私が自分自身で感じていた気持ちとしては絶望的な状況でした。

これが僕が感じていた人生の壁です。

まだ、人ととして人生の経験は足りないかもしれないけれども、自分の中ではこれしか世界がないと思っていたし、自分にとっては史上最大の壁でした。

 

けれども、最終的に私は司法試験に合格しました。1回の試験で合格しました。

高校から慶應義塾大学に合格し、大学、大学院と慶応をストレートで卒業。

司法試験には最短ルートの一発合格です。

一見、自分で見ても超エリートコースのような道をとおってきました。

ただ、実際は一度飛び降りてしまいたいくらい、追い込まれた状態で試験勉強取り組んでいました。

正直、今冷静になって考えると、なぜそんなかたくなで、不器用で、追い込まれた考え方をしていたのだろうと思います。

こんなに追い込まなくてももっと合理的に、効率的に、器用に進めたほうが結果も良かったのではないかと思います。

でも、その時霧の中にいた私は、そんなに余裕を持った考え方はできずに、ただ必死に目の前の勉強をこなして、合格のためにできることをするしか考えられなかったのです。

そして、1回のチャンスのために、最後まで決めたからにはやりきろうと走り続けました。

とっても不器用なやり方だったけど、

孤独だったけど、走り続けました。

5年間ひたすら走ってきましたが、もしこれだけやって受からなかったら、この5年間はぼくにとってなんなんだろうと不安で仕方なかったです。

 

けれど、法務省の前に試験の合格を掲示板をみて、涙がこらえきれなくなったときに、全てが報われました。

 

5年間の全てが報われました。

結果的には、今は私は弁護士として、私が助けてあげたいと思う依頼者のために、自分の正義感で仕事をすることができています。

今、自分の仕事に充実感を感じることができています。

 

終わってから気づいたことがありました。

それは、この5年間ひたすら孤独と向き合って勉強をして、自分が人間的にとても成長できたということでした。

周りの環境に感謝することを知りました。

毎日図書館にこもっていると、ふとした友達と話せる時間がなんて貴重ななんだと、何気ないことに感謝、ありがたみを感じることができるようになりました。

試験挑戦を金銭的に父は応援してくれました。

夜遅くなるのに食事を出してくれて、悩んでいるときは話を聞いてくれる母にありがたみを感じるようになりました。

「bengoshi taizo 」と学校の家庭科の授業の刺繍のナプキンをつくってもってきてくれた9個下の弟、いつもお守り代わりに持参していました。

応援してくれる家族、ひたすら孫の成功を信じてやまないおじいちゃんに深く感謝するようになりました。

一緒に支え合う勉強の同士や先輩、刺激をくれる後輩との結束が強くなりました。

もちろん忍耐力もついて、自己管理もできるようになりました。

一人でいる時間が長かった分、自分という人間のことをよく理解することができました。

そして、自分の痛みを知ったことで、人の痛みをわかってあげられる人になってあげたいと感じるようになりました。

こんな風にあげたらきりがないけれども、自分という殻のなかで、必死にもがいて、一生懸命自分と向き合ったことで、自分自身がが成長していることを終わってはじめて気がつきました。

ここで重要だと思うのは、実際に今目の前にある壁が私にとってどんな壁であるのかは関係ないのです。

その人にとって、どれくらい大変なことで、そのことについて、その人がどれくらい向き合うことができるのか、それが大切なことだと思うのです。

今、あなたの目の前には絶望的な状況が広がっているかもしれません。

けれども、私は絶望的な状況でこそ人の真価が問われると思います。

逆境でこそ人の真価が問われます。

楽なときに笑っていることは誰でもできますが、つらい状況になった時にどれだけ問題に向き合えるか、それによってその人の成長レベルが大きく変わるのです。

事実を受け止めて前に進むか、目の前の壁を前に諦めるか。決めるのは自分です。

今の状況はつらいけれども、そこを超えることができれば人間として大きく成長をすることができます。

自分でつらい状況の壁と向き合った人には、人間的な深みが出るなと思います。

おわってみて、私は人として成長できたことの方が試験で合格したことよりもずっと大切であったなと、今は確信をもっています。

困難と向き合った中でも、最善の方向に進めるために、今やるべきことに集中して、前向きに取り組むことができれば、スキルはもちろんのこと、その人の心、マインドは大きく成長します。

そして、精神的な成長ができると、次はどんなフィールドでもその人はきらきらと光り輝くことができると思います。

だから、今振り返って考えてみて、仮に不合格になっていたとしても、私は試験に挑戦して本当によかったと思ったと思います。

目標に向かって、つらい状況と向き合って先に進んでいるときに、失敗なんてことがあるんでしょうか?

その時は壁の中にいて、失敗することばかり恐れていたけれども、

おわってみたら、失敗なんて存在しないんだということを理解することができました。

目標に向かって、努力した後の結果に失敗ということはありません。

これは私から断言できます。

私はこんな自分の経験を踏まえて、取り組んだ結果の失敗はない、失敗なんてないから、何かに挑戦しようと思っている人は、失敗を気にしないでどんどん挑戦してほしいと思っています。

私は大学の華のある青春時代は捨てたなと思って試験勉強をしてましたが、

勉強の期間が終わったてから気が付きました、この5年間は私にとっての最高の青春時代であったのだということを。

自分のためだけに時間を使って、

ひたすら目標だけを追いかけて、走り続ける。

誰でもない、私にしかない、私らしい青春だったんだと思います。

今はこんな自分の依頼者になってくださった人に、事件、トラブルから学ぶ教訓、実りある人生にするためにこの状況から何を学んでいくのか、そんなこともメッセージとして伝えたいと思って、事件対応をしています。

精神的に壊れてしまっては頑張ることもできません。

自分を大切に、自分の身体を大切に。

そして、少し回復したら、戦っていく勇気がでたら、少しでも顔を上げて、前に進んでほしいと思います。

実りある人生を送るために、その人の背中を押せるような人、応援できる人でありたいと思っています。

ぜひチャレンジしてほしい。

絶望の壁は必ず扉に変わります。

 

佐藤大蔵

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札幌の弁護士、パートナー型コンサルタントの佐藤大蔵です。前向きに頑張っていこうという中小企業の経営者を全力でサポートする活動をしています。

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